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バブルが20OO年に崩壊すると、ドイツのナスダツクと言われるノイマルクトそこから、ITバブルに乗っていたドイツの企業も家計も、一斉にバランスシート修復モードに入り、2000年に名目GDP比で6・9%の資金調達をしていたドイツの企業部門は、つまりこの間に、ドイツの企業部門だけで名目GDP比8・7%分(H6・9%+一・8%)の需要が失われたことになるのである。
しかもドイツではこの問、家計部門も大幅に貯蓄額を引き上げた。
その結果、ITバブル期の2000年にはGDP比で3・7%だったドイツの家計貯蓄は、20O5年には6・3%にまで2・6%ポイントも拡大したのである。
その結果、企業と家計部門を合わせるとITバブルのピーク時に比べGDP比で11・3%期不況に突入した。
これはまさにバランスシート不況であり、ドイツ国内における資金需要は激減した。
フランス人が総裁を務めているECBが、ドイツ人がやっていたブンデスバンクよりもインフレ率と金利を下げることに成功したことを喜んだが、それは単にドイツが深刻なバランスシート不況に陥ったことが原因だった。
結局ECBは、ドイツのバランスシート不況に対応して金利を下げたことになるが、そのことはスペインやフランスで住宅バブルに火を付けた。
その当時ECBのトリシェ総裁は、ユーロ導入前はドイツに比べずっと金利が高かった。
それが、を導入したことで以前のドイツ並みの低金利ということになり、そのことが、人々が借りられる住宅ローンの元本額を引き上げ、これらの国々の住宅バブルを加速させた部分もあったと思またこれらの国々は、ユーロつまりECBは、結果的にドイツのバランスシート不況をスペインやフランスの住宅バブルで乗り越えようとした形になってしまったのである。
住宅バブル崩壊のアメリカはバランスシート不況したこともあって、20OO年以降のECBの低金利政策にはまったく反応せず、90年代の日本や昨今の米国と同様にその価格は直近まで下がり続けた。
また、スペインやフランスの経済が住宅バブルに支えられている問、ドイツは企業側が不況を理由にリストラを進め、賃金カットを進めることで域内での輸出競争力を強化した。
その結果、ドイツは域内の輸出を大幅に伸ばし、20O1年には日本を抜いてなんと世界最一方、ドイツの不動産価格は、大の貿易黒字国になってしまったのである。
またそれに合わせてECBも利上げに動き出したのである。
つまり欧州には、欧州の「ITバブル崩壊との戦い」があったわけで、バブル崩壊自体は、かなりドイツに限定されていたものの、そこから来る不況への対策として低金利政策が導入され、その低金利政策がドイツ以外の国々で住宅バブルを引き起こしたと言えるのである。
その意味では、グリーンスパン前FRB議長だけでなく、ドイセンベルク前ECB総裁やトリシェ現総裁も住宅バブルをつくったという点では同罪であるということであり、欧州でも住宅バブルが発生したから、グリーンスパンには住宅バブルの責任がないことにはならないのである。
克服しようとしたわけだが、ある意味でこれは、必然的な部分があった。
ドイツは自己の問題解決能力を失い、結局、その尻拭いを同じマーストリヒト条約の産物であるECBが金融緩和でやるしかなかったと言えるのである。
大きな住宅バブルを引き起こしてしまった。
トリシェ総裁のO8年6月5日の発言は、依然としてユーロ参加国がマーストリヒト条約の財政規律を守ることが重要だと言っているが、皮肉にもバランスシート不況に陥ったドイツにマーストリヒト条約を守らせようとしたことが、結果的にECBの金融政策を狂わせてしまったのである。
これらの問題の根底には、マーストリヒト条約がバランスシート不況をまったく想定していなかった欠陥条約であるという事実があり、ここが是正されるまでは、今後ともこのような形でECBが金融政策を誤ることはあり得るとき守えよう。
私がいま期待しているのは、O8年1月末のダボス会議で、「アメリカだけではなく全世界が財政出動で対応すべきだ」と発言したIMFの専務理事であるドミニク・ストロスカーン氏である。
ダボス会議のパネルで、ストロスカーンにこの質問を投げかけたのはサマーズ元財務長{目だった。
先述したようにサマーズは財政出動を重視する立場にあるが、おそらく彼は、ストロスカーンが「財政出動はダメだ」と言うと思っていたのではないか。
ストロスカーンは、サマーズの予想とはまったく逆に、「世界各国が財政出動すべきである」と言ったのである。
実際、あの発言を聞いた人はサマーズを含めみなびっくりした。
翌日の「フィナンシャル・タイムズ」も一面トップにストロスカーン発言を引き、同氏の写真付きで「IMFは18O度変わった」という見出しを掲げた。
十年間、パカの一つ覚えのように「財政再建」を唱え続けてきた。
アジア通貨危機の時は、それがとんでもない結果をもたらした。
そのため、後になってIMとし入れたことはご承知のとおりである。
このように、過去のIMFはどんな話が持ち上がっても「とにかく財政再建を・・・」の一点張りだったから、今回のストロスカーン発言は極めて画期的な出来事なのである。
経緯から説明する必要がある。
話は1930年代のあの悲惨な時代にさかのぼる。
大恐慌で資産価格が暴落し、各国がバランスシート不況に陥っていた時、どの国も財政赤字を出したくないものだから通貨価値を切り下げ、輸出を増やそうとした。
しかも各国がそれを同時に行った。
これを「コンペティテイブ・デパリユエーション」と呼ぶ。
日本語で言えば「通貨切り下げ競争」ということになる。
同じようなことが貿易でも行われた。
アメリカが自国保護のために輸入品に高関税をかけるスムート・ホーリ1法を出した時、各国は即座にそれに報復する関税引き上げに走った。
このように、通貨も関税も自国保護政策をとったために全世界が「合成の誤謬」に陥り、その結果、世界貿易は3分の一に縮小してしまった。
その惨状を見たケインズは、こんなことは2度と起こしてはいけないと考えた。
ケインズ自身は前著「「陰」と「陽」の経済学」残念ながら、バランスシート不況のメカニズムを完全に把握していたわけではなかったが、それでも不況に直面した各国が同じように外需に頼ろうとすると、世界規模で「合成の誤謬」が起こるということははっきり理解していた。
そこで構想したのがIMFであった。
ケインズはイギリス側の代表だった。
ブレトンウツズ(米国ニューハンプシャl州)でIMF設立が話し合われた1944年当時、政治的覇権はすでにイギリスからアメリカに移行していたから、最終的に設立されたIMF(戦後の1946年)はアメリカ財務省のハリー・デクスター・ホワイトの案に沿ったものであった。
ホワイト案とケインズ案はどこが違っていたのかというと、ケインズは世界が恐慌に見舞われそうになったら貿易赤字国も貿易黒字国も同様に責任を持つべきだと主張した。
貿易黒字国は内需をどんどん増やす。
赤字国に内需拡大を期待するのは無理だから、黒字国にも荷物を背負ってもらおう、という案であった。
当時、唯一の貿易黒字国はアメリカだったので、アメリカとすればそんな責任は負いたくない。
そこで出てきたのがホワイト案である。
ホワイト案は、黒字国の責任は問わないが、IMFは赤字国には融資を出したりして救済するというものであった。
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